文豪を魅了した幻の«ひまわり»

ゴッホの代表作で連作の«ひまわり»は、自身の描いた作品の再制作も含めて全部で7点制作されている。背景が青などの寒色系のものと、黄色のものの2種類に分類することができ、花びらの黄色と補色関係にある青を背景に使用した作品では、ひまわりの花びらが浮き上がって見え、存在感を示している。一方、背景に黄色を使用した作品では、背景に花が埋もれてしまわないよう、うねるような筆致と、ひまわり、花瓶、背景で色調に少しずっ変化を加えることで、似た色を使いながらも、それぞれの存在が独立して、生き生きとしたひまわりとして描かれている。
この連作のうち2番目に描かれ、他の«ひまわり»とは違い、鮮やかな青が背景に使われた特徴的な作品こそ、かって日本へ持ち込まれ、「芦屋のひまわり」と呼ばれていた作品である。
「芦屋のひまわり」は、関西の実業家•山本顧彌太が、1920(大正9)年に白樺美術館のために私費を投じて購入したものである。武者小路実篤をりーダーに志賀直哉、岸田劉生らで結成された白樺派は、文学だけでなく美術作品も紹介しており、西洋美術から得られる感動を広げたいと白樺美術館の設立を計画、本作の購入もその思いに賛同してのことであった。しかし、白樺美術館設立は結局実現せず、山本氏の神戸市芦屋の自宅応接間に飾られていた«ひまわり»は、広島に原子爆弾が投下された日と同日、1945(昭和20)年8月6日、神戸大空襲により焼失し、「幻のひまわり」となってしまったのである。山本は、いつの日か白樺美術館が実現するまで作品を預かっているという気持ちで、大切に保管しており、実際に銀行に預けようともしていたが、温度、湿度を保てないとの理由で断られてしまい、致し方なく自宅に置いていた末の悲劇であった。
この作品が印刷された図版はほぼすべてモノクロで、その色彩を伝えるものは、『白樺』1921(大正10)年2月号の口絵のほかは、同年6月に白樺社が発行した『白樺社発行セザンヌゴオホ画集』が数少ない資料として残されていた。そこで、わずかながら残された資料を手掛かりに復元を行った。多くの人々に直に作品を見てもらいたい、西洋美術を日本に広めたいとの夢が継承され、スーパークローン文化財として«ひまわり»をよみがえらせるに至った。  (小俣英彦)