文化財の永遠の課題は「保存と公開」である。保存だけを尊重するなら秘仏のような存在となってしまい、それ自体が持つ価値を封印したことになる。一方、 公開を優先すると劣化や損傷のリスクを負うことになる。両方のバランスを考 えながら後代に継承することが文化財の持続性を担保することにつながる。
しかし、オーレル・スタインやポール・ペリオ、あるいは大谷探検隊が訪れ た20世紀初頭の敦煌と100万人を超す観光客が押し寄せる現代とでは文化財 をとりまく環境はまったく違っている。文化財にかかるストレスは飛躍的に増大しているのである。 たとえば、イタリア北部の都市パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂にはキリストの生涯などを描いたジョットの壁画がある。今から20年ほど前に壁画の劣化原因を解明する調査が行われたところ、自動車の排気ガスが推測されていたが実際には礼拝堂を訪れる観光客の吐く息が主要な原因であることがわかった。このため現在では1日の入場者数を制限することによって壁画を守る方策が取られている。
当分の間、世界的な観光ブームの中で文化財にかかるストレスが増加することはあっても減少することはないと推定される。このような状況下、文化財を守ると同時に文化財を見たいという多くの人々の希望に対応するにはもはや「保存と公開」のバランスを考えながら公開するという方法だけでは社会的ニーズに対応できなくなりつつある。しかも爆破行為によって失われてしまったバーミヤン東大仏天井壁画や貴重な文化財であるがゆえに模写によって記録保存しようという作業中に焼損した法隆寺金堂壁画のような不幸な例もある。失われた文化財の場合、写真などの記録資料によって復元し、現存する文化財の場合はオリジナル作品への負荷を軽減するためのレプリカとしてクローン文化財を活用する手段がある。これまでのレプリカやコピーとは異なり最新の科学技術を利用して精度の高いレプリカを製作し、彫刻、絵画、工芸等の美術家によって最後の仕上げをするクローン文化財の再現性は、十分にオリジナル作品の代替ができるだけの質を確保している。この新たなクローン文化財の活用こそ現代社会の文化財に対する需要に応える有効な手段なのである。
※2017年に東京藝術大学大学美術館で開催したシルクロ-ド特別企画展「素心伝心ークローン文化財失われた刻の再生」図録の文章を再掲載した。