文化財の伝承にはこれまで膨大な時間と費用が投じられてきた。文化財は手作業による模写や模刻、伝統的な保存修復技術によって伝承され、唯一それらの分析において科学技術を導入してきた。しかしながら、模写や模刻のプロセスにも最先端デジタル技術を併用することで、飛躍的に文化財の公開や活用を進めることができるのではないかと新しい複製制作の開発が進められた。
まず開発に成功したのがクローン文化財である。「いかにオリジナルに近づけることができるか」が第1の目標だった。立体の文化財を3Dスキャナのデータをもとに樹脂で原型をつくるというまったく未知の世界に挑戦した。そしてさらに手作業による仕上げを行いクローン文化財の第1号が誕生した。また平面作品は、限りなく原本に近い質感の下地の上に、高精細プリンタで印刷をし、手作業による仕上げを行った。続いて取り組んだのが、スーバークローン文化財である。 「時間の壁を超える」というのが第2の目標である。焼損や破壊により失われた文化財の復元である。その過程では、美術史家や作家による検証をもとに制作当時の形態に限りなく復元するなど、制作当初に時を戻すという試みをスーパークローン文化財は可能にする。
そして、眼に見えないものや耳に聞こえないものを感じ取ることにより、文化の「未来に想いを馳せる」試みであるハイパー文化財の開発に着手する。ある仮説から、透明な仏像の制作に着手する。完成した透明な仏頭に真下から光を当てると、頭部の螺髪を通して天蓋の部分に右巻きの光の螺旋が現れた。NASAの調査によると、木星にも同様に右巻きの青い渦が存在するそうだ。
飛鳥時代につくられた釈迦三尊像の頭部の螺髪が青く塗られていたことにも繋がっていく。これらの一致こそが我々が求めていた芸術と科学の混在である。芸術家の創造の力が時を超え、点と点をつないでいく。現実を超越した未来に向けた発想こそがハイパー文化財の真骨頂である。
唯一無二の存在であるはずの文化財を複製することは布教•教育を例外とすればタブーと考えられていた。しかしながらしっかりとしたクローン文化財の管理体制を確立し、流出することがないように努めていけば、独占されていた文化財を共有できる時代が来ると信じてやまない。
昔の人々は植物の命と人間の命を同じものと考え、命を永遠に繋げる「とこ」という意識を持っていた。漢字を当てはめると「常」だが、これを「とこ」と読むと永遠に続く現象を表し、「つね」と読むと不変を表す。この二極を使い分け、時間を円環させるという考え方を編み出したそうだ。
文化遺産や文化財は、各国にとっては重要な観光資源であり、人類の貴重な共有財産でもある。また歴史的•文化的に価値の高い考古遺物や芸術作品が広く公開されることは、文化の発展にとって意義深いことである。しかし、そうした文化財は物理的な接触の他、光や空気に触れるだけで退色や劣化が進んでいく。そのため、今までは保存と公開を両立させることは不可能であると考えられていた。
この問題を解決するため、東京藝術大学COI(センター オブ イノベーション)拠点では、芸術と科学の混在(融合)による高精度な文化財の複製技術=クローン文化財の開発に着手した。クローン文化財は、最先端のデジタル技術と伝統的なアナログ技術を混在させ、双方の化学反応を引き出そうとする試みである。最先端技術に、人の手技や伝統的な技法、人間の感性を取り入れることにより、単なる複製ではなく新たな芸術を生み出すことを目指している。
実際に、クローン文化財の制作に当たっては、オリジナルの詳細な調査を行い、質感や基底材などの成分、表面の凸凹、筆のタッチや形状まで忠実に再現する。ただし、真の目的は、学術的に信憑性•妥当性の高いクローン文化財を生み出すことだけに留まらない。文化そのものを生み出す人と技を育て、文化を次世代に継承することにより、新たな創造の誕生に繋げることにある。日本には「うつし」という独特の文化がある。それは単にオリジナルをそのまま写しとるのではなく、そこから技術や思想を学び、新しい創造を生みだすための行為である。そしてクローン文化財はオリジナルと同一素材•同一質感であるだけでなく、技法•歴史•文化的背景など芸術のすべてのDNAを再現しているのである。
文化財保存の発想から生まれた、過去から未来までを具現化する文化継承学である。
日本人にとって花と言えば「桜」である。そしてソメイヨシノというクローンの桜が、南から北へと一気に日本中を駆け巡り、開花とともに春を告げる。
川面にキラキラと輝く光には、名前がない。どんなに美しくてもそれに見合う名前がないと、波紋は広がっていかない。
最初、クローン文化財という言葉には抵抗があったが、海外で公開する際に「日本の桜と同じ、クローンの作品です」と説明すると、すぐに理解し受け入れてもらえるようになる。多くの人が、その本質を即座に納得するような名前がないと、ただそっくりな偽物と誤解をしてしまう。
特許を取得し、単なる複製という領域を超えた今回のプロジェクトは、クローン文化財という名前を得て、世界へと広がっていった。それまでは、オリジナルとそっくりなものをつくると贋作として扱われてきた。しかし、クローン文化財が作品としてもつ意義は、それとは一線を画している。
第1に、文化財の保存と公開という矛盾を解決できること。
第2に、文化財の独占から共有へと大きく舵を切るきっかけになること。
第3に、人材育成を通して、自国の文化を自らの手で守り、広めていく夢が生まれること。
第4に、過去にアーカイブされていた資料を掘り起こし、消失した文化財や欠損•変色した文化財を限りなく元の状態に復元できること。
第5に、クローン文化財を前にして、誰でも鑑賞し、触ることもできること。
第6に、クローン文化財そのものが、国境を越えて移動して、人々の眼前に公開できること。
多くの難題を乗り越えて完成したクローン文化財は桜と同じように綺麗な花を咲かせることだろう。
クローン文化財を持って世界の美術館を回ってみると、「触っても良いのですか」と半信半疑で質問がある。最初は恐る恐る触れてみているが、やがて皆の顔に笑顔が浮かぶ。その笑顔の輪が周囲の人にも広がっていく。クローン文化財というつぎ木によって、新たな文化の生命が芽吹き、人々に笑顔の花を分け与えることができる。クローン文化財の魅力で大きな喜びと感動の輪を広げていくことにより、平和で豊かな世界をつくり上げていきたいと願う。